「あそこの国はアングロ・サクソンであそこはロマンス系だからすこし違うかな。」
「あの作家はおもしろくねぇなぁ」
「ギャー人のエロゲってあるの?」「いやエロゲに外人もクソもないんじゃないかな?」「ははははそりゃそうだよな、髪がピンクだったり瞳が緋色だったり関係ねぇか」
って感じの話しをしているうちに、法学の授業をすっぽかしてしまいました。
・・まぁたまにはこんな日もいいか
電車にて
京成電鉄の船橋競馬場から海神駅までの間に高架がかかってる。
僕は海神側から船橋駅にかけて高架を走っている電車の窓から外の風景を見るのが好きだ。
・・いやただそれだけです
でもなんであの光景が好きなんだろう。
今日も高架を走り始めたと思ったら読んでいた本から目を離して窓の外を見ていた。
高いところから車窓から風景が走りさっていくさまを見るのが好きなのだろうか。
でもそれだと船橋競馬場側から船橋駅にかけての風景も好きになるはずだが、僕が心ひかれるのは海神駅側から船橋駅にかけてだ。
夜高架を走っているときは街の明かりが見えて良いし、夕日にビルや住宅街が照らされているのを見るのも好きだ。
もしかしてこれが万人に共通するものならば、あそこの光景には人間をひきつける何かがあるということになり、それを見つけることができれば人間が普遍的に感じる快のひとつを真に理解することができるのではないか?
・・・まぁそんなことどうでもいいか
それにしてもなんでこんなことを考えようと僕の脳みそはしているんだろう。
まぁ電車の中のヒマな時間を脳みそを回転させてつぶすことができたのだからそれなりに有意義だったのだろう。
「次は津田沼〜」
・・ああそういえば昔駅や車内アナウンスが過剰に親切すぎてやかましいからやめるべきだと言う意見を聞いたことがあったな。
まぁでも別にいいんじゃない?
そういうこと言う人はおそらく毎日乗ってる人だろうから、「うるせーんなもん知ってるんだよハゲ!毎回毎回鼻声みたいな声で話しやがって」って思ったりするんだろうけど、一度もその路線の電車や、行った事のない駅に行くときなんかは、アナウンスに助けられることだってしばしばあるだろう。
実際僕は助けられたことがある。
でも功利主義の最大多数の最大幸福に則って話すんならまぁなくすべきかもしれないのかなぁ・・・
いやでもそもそも毎日通う電車でアナウンスが流れたって気にしない人だっているんだから、最大多数の最大幸福が当てはまるかどうかってのもあるな。
まぁそもそもアナウンスってのはわからないためには必要だし、目が不自由な人が電車に乗るときなんかも必要だろう。
それに外人だってアナウンスは必要だろうしね。
京成線は英語アナウンスたまにしかやらないけど。
そういう人のことを考えないでうるさいからって理由で(個人的な意見を言わせてもらえば大してうるさくもない)アナウンスをなくせというのはまったく他人のことを考えていない自己中心的な意見じゃないだろうか。
まぁそんなとこに結論は落ち着くのかな。
・・・いやまてよ
アナウンスは必要としている人がいるからやるものだろうけど、もし本当にアナウンスを必要としている人すべてに対応しようとしたらそれは大変なことになるな。
日本人なら現状で良いとしても、外人には毎回英語で流さなければいけないわけだし、そんなこと言い出したら、中国韓国語あたりを流せとか言い出すやつらが出てくるだろうしこれは困る。
なんで日本にいながら外人の言葉でアナウンスされなきゃいけないんだ。
僕は外国語は大っ嫌いだ。
日本語理解してから日本にきやがれ。
・・・ん
ということは日本語のアナウンスなら平気で、外国のアナウンスは英語をたまに流すぐらいなら良いがそれ以外を流せば僕はひどく不快に感じると言うことか。
それに自分でさっきといってることと矛盾しているような。
アナウンスを不快だからなくせと言う人を批判しときながら、アナウンスを必要とする外国人のために外国語でアナウンスをするのは不快だから嫌だとごねる事はおかしなことだな。
自分が大して嫌でないことのうちは正義感ぶってるくせに、自分が嫌なことになると反発してるのか
・・・あ
考え事してたら降車駅過ぎちゃった
今日の名曲
スピッツ/砂漠の花


